MERYでちょっと社会学

「今や雑誌は雑貨である」


雑誌のMERYはそのコンテンツすべてがwebやアプリに誘導されるようになっている。情報量は少なく、写真もぼやっとしていて他の女性誌と一線を画している。


でも装丁はポップでガーリーで世界観があるし、値段にみあった以上の紙質で思わず手に取りたくなる。


CDは売れず、モノを持ちすぎず、情報に価値がある今の社会において、この雑誌が売り切れたというのは、「中の情報が欲しいのでなく、この物体を手にいれたかった」ということだ。


機能がまったく同じ鞄でも、ブランド品を買う。それを持って街を歩くことに意味があり、価値がある。それを持つことで、ある種のステイタスを得られていた時代があった。


「記号的消費」とか「消費社会」とかいわれるものだ。


雑誌MERYはまさにそういう消費のされ方をしたのだと思う。それはつまり、MERYのブランドが確立されたことの証左ではないだろうか。


そして「MERYを見ている女の子はかわいいしかっこいいし、なんだかイケてる」というトレンドがさらに増大していく。


「家に置きたくなる、雑貨としての雑誌」


キュレーションメディアは乱立している。


だからこそ、そういうブランド性の確立が成功を左右するのだろう。



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